アパルトヘイト博物館は、20世紀後半まで南アフリカで行われていたアパルトヘイト(人種隔離)政策と人々が民主主義と自由を勝ち取るまでの歴史を伝えるために2001年にオープンしました。この博物館では、訪問者は白人もしくは非白人に分類され、自分に割り当てられたゲートから入場します。博物館内部は、資料や模型、映像、写真、パネルなどマルチメディアを用いたインタラクティブな展示が行われており、アパルトヘイトの歴史とその悲惨さについて学ぶことができます。
営業時間:9:00-17:00
休業日:グッド・フライデー、12/25、1/1
料金:(大人)100ZAR(学生・子供)85ZAR
公式サイト:apartheidmuseum.org
(2020年3月現在)
アパルトヘイトとは、アフリカーンス語で「分離・隔離」を意味します。20世紀初頭、白人の入植者が支配する南アフリカでは、白人が有利になるように様々な人種差別的な立法がすでに存在していましたが、1948年にアパルトヘイト政策を推進する国民党が勝利すると本格的にアパルトヘイトが実施されました。レストランやホテル、電車、バス、病院、公衆トイレ、公園、ビーチをはじめ、居住区や生活圏はすべて白人と非白人に分けられ、非白人(黒人、ケープマレー、アジア系移民、カラードと呼ばれる混血住民)の人々は、教育や医療制度、職種や賃金などにおいても少数派の白人が定めた無数の法律により制限され、日常生活の隅々まで公然と差別されました。選挙権が与えられたのも白人のみ。さらに、人種が違う男女の結婚は禁止され、交際も厳しく取り締まられました。アパルトヘイトに反発する人々は武力で制圧されたり、次々と投獄されていきました。1980年代に入り、反アパルトヘイト運動の激化に加え、国際社会からも非難、経済制裁が行われるようになったため、南アフリカ政府はようやくアパルトヘイト撤廃へ向けて動き出しました。そして、最終的にアパルトヘイトが完全に撤廃されたのは、全人種による選挙でネルソン・マンデラが南アフリカで初の黒人大統領に当選した1994年のことでした。この非人道的なアパルトヘイトは決して容認できるものではなく、1998年に国際刑事裁判所ローマ規程(ICC規程)の「人道に対する罪」の「アパルトヘイト犯罪」に規定されました。
アパルトヘイトは、南アフリカの歴史を語る上で切っても切れない出来事で、ヨハネスブルグに行く際にこの博物館はぜひ訪れておきたいスポットです。
アパルトヘイト博物館の入口は白人用と非白人用の2つに分かれています。訪問者は、まず白人もしくは非白人と記載されたチケットを受け取り、そのチケットに記載されたゲートからのみ博物館に入場できるようになっています。そのため、複数人で訪れた場合、割り当てられた人種が違えば、別々のゲートから入場しなければならず、人種が違うだけで引き裂かれてしまうというアパルトヘイトの社会がどのようなものであるか疑似体験を味わうこととなります。もちろんこれはランダムに振り分けられるものなので実際の肌の色には関係ありません。
アパルトヘイト博物館では、写真や映像、遺留品、模型、パネルなどを用いた展示で、アパルトヘイト政策がどのようなものだったのか、各地で発生した暴動や抗議デモ、そしてアパルトヘイト撤廃と南アフリカが民主化と自由を手に入れるまでの歴史を時系列に沿ってテーマごとにわかりやすく説明しています。人種差別の悲惨さや人間の愚かさを痛感させられ、人権とは何か、自由とは何かを深く考えさせられます。
博物館内部に入ると、人種が明記された当時の南アフリカの人々のIDがずらりと展示されています。アパルトヘイトでは、まず人種をネイティブ、カラード、アジア、ホワイトの4つのグループに分類するのが基本でした。通路の天井には当時使用されていた白人と非白人を分ける様々な案内板が掲げられています。ここから訪問者をアパルトヘイトの歴史の旅へと誘います。
「政治的処刑」と題された展示室では、天井から131本の首吊りロープが吊るされています。これは、アパルトヘイト時代にテロリズム法で捕らえられ処刑された人数を表しています。
「1976年の意義」と題された展示では、世界中に衝撃と非難をもたらし、アパルトヘイト体制を終焉に向かわせたソウェト蜂起を取り上げています。1976年にヨハネスブルグのソウェト地区で、黒人学校でアフリカーンス語で授業を教えるよう強制した法令に反対する学生たちがデモが起こしました。このデモをきっかけに学生と警察官の間で激しい暴動が起こり、1000人近くの学生が命を落としました。
「マンデラの釈放」の展示では、27年間もの投獄の後、1990年2月11日にネルソン・マンデラが釈放された歴史的な瞬間を映像で見ることができます。この時、彼はケープタウンの市庁舎のバルコニーで全世界に向けて演説を行い、10万人の観衆が彼の釈放を祝いました。
しかし、その後の数年間は体制移行期の混乱の時代が続きました。各政党の武力衝突が度々勃発し、この期間にのべ14,000人もの南アフリカ人が政治的な暴動で命を落としました。これはアパルトヘイト政策下の過去40年間の死亡者数の数倍に上ります。この政治紛争で使用された銃器も展示されています。そして展示は、1994年のネルソン・マンデラの南アフリカで黒人初の大統領就任からレインボー・ネイション南アフリカの誕生へと続きます。ネルソン・マンデラの生涯に関する展示も充実しており、多くの訪問者の関心を集めています。
アパルトヘイト博物館は、ヨハネスブルグの南部ウィットウォーターズランド金鉱跡に建設された「ゴールド・リーフ・シティ」に隣接しています。ゴールド・リーフ・シティは、1880年台のゴールドラッシュをテーマにした遊園地のほか、カジノやホテル、映画館、レストラン、ショップなどがある複合娯楽施設です。鉱山ツアーでは、地下の金鉱跡を実際に歩いて見学することができ、人気のアトラクションとなっています。
ヨハネスブルグは、1886年に金が発見されると、世界中から一攫千金を夢見た多くの人々が集まりゴールドラッシュに湧きました。ヨハネスブルグの郊外には、採掘の際に掘り出された土や廃石を積み上げてできたボタ山が今でもあちこちに残っています。
ツアー・アクティビティ名 | 所要時間 | 詳細 |
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プレトリア、ソウェト、ヨハネスブルグ歴史観光ツアー<ヨハネスブルグ発> | 1日 |
南半球に位置する南アフリカは、北半球とは逆の季節になります。ヨハネスブルグは、内陸の高原地帯に位置し、夏(11月~3月)の平均最高気温は26度程度と比較的過ごしやすいですが、この時期は雨季にあたり落雷を伴う豪雨になることもあります。一方冬は乾季にあたり、降水量が少なく穏やかな気候が続きます。ただし昼夜の寒暖差が激しいので防寒対策は必要です。観光は1年を通して楽しめますが、ジャカランタという紫色の花が咲き誇る9月末から11月中旬がオススメです。
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【O・R・タンボ国際空港から市内】
<電車>
ハウトレイン(Gautrain)が空港駅からヨハネスブルグのサントン(Sandton)駅まで運行。
所要時間:(サントン駅)約15分
料金:(サントン駅)165ZAR
※初回はチャージ式のカード(Gautrain Card)代別途17ZAR
参考サイト:gautrain.co.za
<タクシー>
所要時間:(市内中心部)20~30分
目安料金:300ZAR前後~
<空港シャトル>
空港から目的地まで乗り合いのシャトルサービス(15~20分間隔で運行)
所要時間:(市内中心部)20~30分
目安料金:(市内中心部)250~300ZAR
【ヨハネスブルグ市内からのアクセス】
市内中心部からタクシーで15分前後
<観光バス>
乗り降り自由の「City Sightseeing」で博物館前下車
参考サイト:citysightseeing.co.za
(2020年2月現在)