横断検索型の旅行提案サービスTavitt

  • お問い合わせ
リトアニア

占領と自由闘争の博物館(KGB博物館)

(Museum of Occupations and Freedom Fights (KGB Museum))

概要

ヴィリニュスの新市街に位置する占領と自由闘争の博物館(通称KGB博物館)は、ソ連の秘密警察KGBの本部があった建物を利用した博物館です。KGB本部では、第2次世界大戦後の約50年間に渡りソ連政権の犯罪計画と虐殺が行われ、今でもソ連の占領時代を象徴する場所となっています。この博物館では、かつてのKGBの勾留室や死刑執行室が一般公開されている他、ソ連政権下の抑圧、さらに自由闘争に立ち向かったリトアニアの20世紀の激動の歴史を紹介しています。


営業時間:10:00-18:00 (日曜は17:00まで)
※チケット販売は、閉館30分前まで
休業日:月曜、火曜
料金:(大人)4EUR(学生・シニア)1EUR ※7歳以下は無料
公式サイト:genocid.lt
(2019年10月現在)


見所ポイント

KGBの活動拠点となったヴィリニュスのKGB本部
犠牲者の名前が刻まれた旧KGB本部の外壁

20世紀のリトアニアは、占領と独立を繰り返した激動の時代でした。特に第2次世界大戦中の1940年代から1991年にリトアニアが独立回復を果たすまでの約50年間は、抑圧された暗黒時代でした。

占領と自由闘争の博物館は、ヴィリニュス旧市街の大聖堂広場から西に伸びるゲディミノ大通りを1kmほどの進んだ場所に位置しています。ここは1944年から1991年までソ連の秘密警察KGBの本部が置かれていました。リトアニアの人々の言動は常にKGBに監視され、ソ連体制にとって危険分子となり得ると判断された人々は、次々とここへ収監されていきました。リトアニアの独立回復後も、この半世紀に渡る苦難の歴史を後世に語り継ぐために建物は保存され、その一部が博物館として一般公開されています。当初は、「ジェノサイド犠牲者博物館」という名称でしたが、2018年からは「占領と自由闘争の博物館」に名称変更されています。博物館の外壁には、この建物内で殺害された犠牲者の名前が刻まれています。また、建物の前には、犠牲者を追悼する記念碑が建てられており、今でも献花が絶えない場所となっています。

ソ連の占領と自由闘争の歴史を辿る
豊富な写真や資料を集めた展示室

博物館の展示ブースでは、主にソ連のリトアニア占領とソ連併合に抵抗し戦った市民兵(パルチザン)、さらにこの期間中に行われた逮捕や処刑、シベリアへ強制追放の犠牲者とKGBの活動、独立回復運動などに関する資料を写真や遺留品とともに展示しています。

9年間に渡り戦ったパルチザン闘争に関する展示では、パルチザン部隊と自由のために戦った人々の日常生活に焦点が当てられています。当時の定期刊行物や出版物、原稿、私物、人々の写真などが展示されています。

リトアニアを占領したソ連は、パルチザン(市民兵)やその支援者となる人々を逮捕し、殺害やシベリアに強制追放しました。シベリアへ移送中に貨物列車の中で命を落とした人も多く、またシベリアに無事到着しても、その後劣悪な環境下での厳しい強制労働が待ち受けていました。シベリアに強制追放されたリトアニア人は28万人にも及んだと言われています。強制追放の展示では、シベリアの村の様子やそこで暮らす人々の写真、日用品などの遺留品とともに解説されています。

KGBの諜報活動
KGBの盗聴室を再現した部屋

博物館内には、KGBの盗聴室を再現した部屋もあります。かつては、博物館の2階部分のほとんどがKGBの技術運用部隊が占めており、この部隊では社会をコントロールするために、公式、非公式に関わらず市民の会話や通話を盗聴し、全て記録をとっていました。会話の内容からKGBが危険分子と判断した人々は逮捕され、収監されました。しかし、そのほとんどが知識人や聖職者、裕福な農民など一般市民でした。KGBが撤退した際に、機器や資料の一部が持ち去られたり、破棄されたため、どのくらい盗聴機器が使用されていたかは不明のままですが、残っていた機器や家具を利用して、当時の様子を再現しています。

当時の姿が残る地下の刑務所
刑務所の廊下

地下の刑務所は、KGBが撤退した1991年の時のまま保存され、現在は勾留室や処刑室が一般公開されています。ベッドや小さなキャビネットが残る通常の勾留室のほか、様々なタイプの独房があります。ボックスと呼ばれる独房は、人が一人やっと入れるくらいの狭い空間で、一度この房に収容されると何時間も立ったままでいなければなりませんでした。後に改修され、現在残るボックスには壁に椅子代わりの簡易的な板が見られます。懲罰房では、床に水を溜め、拷問を行い自白させていました。さらに抵抗した者や拷問で精神が崩壊したと判断された者は、拘束衣を着せられ完全防音の壁に覆われた隔離房に収容されました。隔離房では、助けを求めてどんなに叫んでも外部に声は届きませんでした。塗装が剥がれ、無機質な独房は、より一層不気味さが感じられます。

1942年から1944年のナチス・ドイツ軍の占領下では、この建物はゲシュタポ本部が置かれ、多くのユダヤ人が拘束、殺害されました。勾留室の壁からは、この時に収容された人々が刻んだ碑文が見つかっており、第3号室では、リトアニアのホロコーストに関する展示が行われています。

多くの犠牲者を出した処刑室
銃殺の爪痕が残る処刑室内部

処刑室では1944年から1962年にかけて1000人以上の犠牲者を出しました。収監者は、この建物内で形式的な裁判が行われた後、この部屋に連行され、銃殺されました。殺害された人々の遺体は、その後トラックで運び出され、近郊の集団墓地に埋葬されていましたが、未だに特定できていない埋葬地もあると考えられています。ガラス張りの床の下には、墓地から発掘された遺品が展示されています。壁には銃弾の跡や血痕と思われるシミが残り、モニターからは銃声や怒号など処刑の状況を再現した映像が流れています。銃弾が貫通した犠牲者の頭蓋骨の写真や資料も展示されており、なんとも言えない恐ろしい感覚に襲われます。

負の歴史から私たちが学ぶこと
博物館前の犠牲者を追悼する記念碑

この博物館で扱うテーマは、非常に重く、目を背けたくなるような痛ましい展示もあり、決して楽しい場所ではありません。しかし、20世紀のソ連政権下の弾圧と自由闘争に立ち向かったリトアニアの複雑な歴史は、リトアニアの文化や歴史を理解する上で、避けては通れません。その歴史を少しでも知ることで、リトアニアという国や人々を理解する一つのきっかけとなるかもしれません。

また、そこには国家権力の下で残虐非道な行為に走った人間の狂気、苦しい状況下でも尊厳を失わず懸命に生きた人々、自由を得るために果敢に立ち向かった人々、無実の罪で無念さを抱えながら犠牲となった人々など壮絶なドラマの数々が存在し、社会の在り方や人間の尊厳についても深く考えさせられます。

おすすめのツアー・アクティビティ

ツアー・アクティビティ名 所要時間 詳細
【プライベートツアー】ソビエトの遺産に出会う 半日観光<ガイド貸切/午前or午後/ヴィリニュス発>3時間

veltra.com

リトアニア首都 世界遺産ヴィリニュス市内半日ツアー<貸切/ヴィリニュス発>3時間

veltra.com

ベストシーズン

リトアニアには四季があり、観光のベストシーズンは、最も過ごしやすい夏の6月~8月です。夏季は日照時間が長く、夜遅くまで明るいので、観光に十分な時間をとることができます。ただし朝晩は気温が下がるので、長袖の羽織りものがあった方がよいでしょう。メキシコ湾流の影響で高緯度の割には温暖ですが、冬は日照時間が短く、寒い日が続くので防寒対策は万全に。


  • 現地
  • ヴィリニュス
  • クライペダ
天気予取得中...
天気予取得中...
天気予取得中...
  • 緯度・経度:54.6880, 25.2705
  • 住所:Aukų g. 2A, Vilnius 01400, Lithuania
首都
ヴィリニュス
面積
65,300 (km2)
人口
279万人 2018年
言語
リトアニア語
公用語
リトアニア語
通貨名
ユーロ 補助通貨はセント ※本サイトではEURと表示
通貨レート情報取得中...
携帯会社SIM
Telia、Tele2、Biteなど
最寄り空港からのアクセス方法

【ヴィリニュス国際空港から市内】
<路線バス>
空港前のバス停から旧市街方面は88番(夜間は88N番)、中央駅は1、2番、市内中心部経由Fabijoniškės行きは3G番
所要時間:(市内中心部)20分前後
料金:1EUR


<空港バス(Airport Express)>
空港から中央駅までの直通バス
所要時間:約10分
料金:2EUR


<電車>
空港駅から中央駅まで運行
所要時間:8分
料金:0.70EUR


<タクシー>
所要時間:(市内中心部)10~15分
目安料金:(市内中心部)10EUR前後


【ヴィリニュス市内のアクセス】
大聖堂広場から徒歩約15分


(2019年9月現在)


最寄り空港詳細

  • ヴィリニュス国際空港 (VNO)