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リトアニア

杉原記念館(カウナス)

(Sugihara House)

概要

第2次世界大戦中に副領事としてカウナス日本領事館に赴任していた杉原千畝は、ナチス・ドイツ軍の迫害によりポーランドをはじめヨーロッパ各地からやってきた数千人ものユダヤ系難民に日本通過ビザを発給してヨーロッパからの脱出を支援したことで知られています。日本政府の意に反し、自身の危険を顧みず命のビザを発給し続けた杉原千畝は、東洋のシンドラーとも呼ばれています。彼が赴任していたカウナスの旧日本領事館は、現在、杉原記念館として保存され、彼の功績や当時の歴史的背景に関する展示が行われています。


営業時間:(5月-10月)月曜-金曜10:00-17:00 土日11:00-16:00(11月-4月)月曜-金曜11:00-15:00
休業日:祝日、11月-4月の土日
料金:(大人)4EUR(学生)2EUR
公式サイト:sugiharahouse.com
(2019年10月現在)


見所ポイント

命のビザを発給し続けた杉原千畝
杉原が発給した手書きの通過ビザ

杉原は、1939年に東欧や独ソ戦争の情勢を調査するためにリトアニアのカウナスに赴任しました。その当時、ドイツではユダヤ人迫害政策により、極東に向かうユダヤ人難民が増えていました。1940年7月、ドイツに占領されたポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人難民は、各国の大使館や領事館でビザを取得しようとしていました。しかし、リトアニアを占領したソ連は、リトアニア国内にある外国領事館に8月までに閉鎖を命じたため、ユダヤ人難民たちはまだ業務を行っていた日本領事館に日本通過ビザを求めて殺到しました。彼らは、アメリカ大陸やカリブ海のオランダ領キュラソー島へ向かうため、ソ連を経由し、日本の通過ビザを必要としていたのです。この時、日本領事館では、ポーランドの特定の亡命者以外へのビザ発給は予定しておらず、杉原は本省に日本通過ビザの発給について打診しましたが、その返事は、「申請者が最終目的国のビザを取得しており、さらに十分な旅費を所持しているという要件を満たしていなければビザは発給してはいけない」というものでした。当時、同盟国のドイツとの関係で、日本政府が公にユダヤ人にビザを発給することは、外交上問題があったのです。しかし、杉原は、生命の危機が迫る難民たちの状況を見て、苦悩の末、本省の訓令に背いて、要件を満たしていない人々にも「命のビザ」の発給を行う決断をしました。この命のビザの発給は、杉原がカウナスを発つまで寝る間を惜しんで続けられ、さらに出発当日の列車の中でもビザを書き続け、車窓から手渡していたと言われています。命のビザで救われた正確な人数は不明のままですが、残された資料から少なくとも2139通のビザが発給され、5000人~6000人(通過ビザは1家族で1枚となるため)の人々の命が救われたと推定されています。

住宅街にひっそりと佇む杉原記念館
当時の執務室を再現した館内

杉原記念館は、カウナスの小高い丘の上の閑静な住宅街にあります。この建物は、カウナスの旧日本領事館を利用したものですが、外見はごく普通の一軒家で、よく見ていないと通り過ぎてしまいそうなさりげない佇まいです。かつては1階が領事館で、2階に杉原一家が暮らしていました。現在、この小さな記念館には、カウナスを訪れる日本人だけでなく、東欧諸国をはじめ、ユダヤ人など世界各国から多くの人々が足を運んでいます。

館内では、まずビデオ上映で、杉原千畝の足跡を辿ります。展示室では、戦時下の様子や命のビザを発給するに至った歴史的背景、日本政府とやりとりした電報や発給したビザリスト、救済された人々の証言やその後の足跡、杉原の生い立ちや私生活などについて数多くの写真や資料を用いて紹介されています。これらの展示には、リトアニア語と英語のほか、日本語での解説も書かれています。執務室のデスクの上には、電話やタイプライター、スタンプ、ペン、ビザリストや手書きの通過ビザなどが置かれており、当時の様子が再現されています。当時、ナチスのユダヤ人迫害という極限的な状況で、自らに危険が及ぶ可能性もあった中で、人道的な行動をすることは、決して容易ではなく、かなり勇気がいることだったことは想像に難くありません。また、当時のビザは一つ一つ手書きで書かれており、わずか1ヶ月余りで2000通以上のビザを一人で作成したというから驚きです。それらの展示品からも杉原の命を救いたいという人道的な思いがヒシヒシと伝わってきます。

後世に語り継がれる杉原千畝の思い
母校早稲田大学に置かれた杉原の記念碑

人道的立場で行われた杉原のビザ発給は、訓令に違反したとして、外務省内で問題視され、1947年に帰国した杉原は、その責を問われ職を追われることとなりました。そのため、世界に誇るべき彼の偉大な功績は、残念なことに戦後の日本ではほとんど語られることはありませんでした。しかし、勇気ある決断で多くのユダヤ人の命を救った功績が称えられ、1985年にイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」が授与されました。「諸国民の中の正義の人」とは、ナチス・ドイツによるホロコーストから自らの命の危険を冒してまでユダヤ人を守った非ユダヤ人に与えられる名誉ある称号で、日本人では杉原が初めてで、唯一の受賞者です。杉原は、その翌年、1986年に86歳でその生涯を閉じました。そして、日本政府が公式に彼の名誉を回復したのは、彼が亡くなった14年後の2000年のことでした。

生前、人道的な行動に対して称賛されると共に、政府の命令に反したことに対して、誹謗や中傷の声も一定数あったと言います。それでも、彼は当時のことを振り返って「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった」「大したことをしたわけではない。当然の事をしただけです」と述べており、そこには、決してブレない杉原の崇高な精神が表れているようにも思えます。

現在日本では、第2次世界大戦中における杉原の功績と博愛精神を後世に伝えるために、彼の生まれ故郷である岐阜県八百津町の「杉原千畝記念館」や命のビザでユダヤ人難民らが上陸した福井県敦賀港の「人道の港 敦賀ムゼウム」などが運営されています。また、2019年3月には新たに東京に「杉原千畝Sempo Museum」がオープンしました。

おすすめのツアー・アクティビティ

ツアー・アクティビティ名 所要時間 詳細
【プライベートツアー】杉原記念館入場 カウナス市内日帰り観光<車+ガイド貸切/ヴィリニュス発>6時間

veltra.com

ベストシーズン

リトアニアには四季があり、観光のベストシーズンは、最も過ごしやすい夏の6月~8月です。夏季は日照時間が長く、夜遅くまで明るいので、観光に十分な時間をとることができます。ただし朝晩は気温が下がるので、長袖の羽織りものがあった方がよいでしょう。メキシコ湾流の影響で高緯度の割には温暖ですが、冬は日照時間が短く、寒い日が続くので防寒対策は万全に。


  • 現地
  • ヴィリニュス
  • クライペダ
天気予取得中...
天気予取得中...
天気予取得中...
  • 緯度・経度:54.8926, 23.9331
  • 住所:VDU, Azijos studijų centras, Vaižganto g. 30, Kaunas 44229, Lithuania
首都
ヴィリニュス
面積
65,300 (km2)
人口
279万人 2018年
言語
リトアニア語
公用語
リトアニア語
通貨名
ユーロ 補助通貨はセント ※本サイトではEURと表示
通貨レート情報取得中...
携帯会社SIM
Telia、Tele2、Biteなど
最寄り空港からのアクセス方法

【ヴィリニュス国際空港から市内】
<路線バス>
空港前のバス停から旧市街方面は88番(夜間は88N番)、中央駅は1、2番、市内中心部経由Fabijoniškės行きは3G番
所要時間:(市内中心部)20分前後
料金:1EUR


<空港バス(Airport Express)>
空港から中央駅までの直通バス
所要時間:約10分
料金:2EUR


<電車>
空港駅から中央駅まで運行
所要時間:8分
料金:0.70EUR


<タクシー>
所要時間:(市内中心部)10~15分
目安料金:(市内中心部)10EUR前後


【ヴィリニュスからカウナス】
<バス>
ヴィリニュス・バス・ステーションからカウナス行きのバスの乗車
所要時間:約1.5時間


参考サイト:autobusubilietai.lt


<電車>
ヴィリニュス駅からカウナス行きの電車に乗車
所要時間:1時間~1時間20分


参考サイト:traukiniobilietas.lt


※カウナス駅から徒歩約15分


(2019年9月現在)


最寄り空港詳細

  • ヴィリニュス国際空港 (VNO)